は じ め に
『稚児乃草子』という,京都醍醐寺に蔵される絵巻がある.
その内容は,年老いて陰茎が立たなくなり挿入できなくなった僧を不憫に思い,尻の穴を拡張するよう努力した稚児の話など,5つの物語からなる僧と稚児との男色物語である.
仏教では,僧は女性と交接を持つことを「女犯」として禁じられ,そのため僧は男性,とりわけ稚児を交接の対象としてきた.
なぜ,僧は女性と交接を持てないという理由で,稚児と交接を持っていたのか.肉体的に男女差の少ない少年である稚児を,女性と同じように化粧をさせ,女性の代替としてその穴を犯していたのか.
もしくは,稚児という力弱くしなやか者に欲情するのが,男である僧の性なのか.
本研究は,仏教的視点から僧と稚児との男色の構造を明らかにしていきたい.
仏 教 と 男 色
「生男の若年を夜の御座にめされて,回門ぐちをぬらし給ふ元祖上人は,たれやらんぞと聞ば,実か虚言か,弘法大師の御さく也とかや」
「若道の元祖弘法大師へ御礼申さんと」
「衆道の元祖はしらね共,先近代あまねく万民にひろめたまふはありかたくも.弘法大師なり」
「日本にては,弘法大師,這道の御開基たり.一休和尚の詩に,大聖文殊元開闢」
男色について,江戸時代では文殊菩薩が発見し,空海が日本に伝えたというのが一般的であったようである.しかし,これに異を唱えるものもある.
「凡男色の道は,弘法大師入唐のみきり,五台山に至り,文殊師利菩薩より授かり来り,我朝にはじめたまふなんどゝいふ族あり.是大なる僻言なり」
「衆道の論.漢に是を非道といひ,変道とよふ.吾俗兄弟分の誓といひ,衆道といふ.世々女色の戒めはあれど,男色にいたりて禁なきは不審.其着する所は,愛欲頗る女色よりも重し.箴むべき事なり.諺に空海に始まるといふは誤りなり」
これらは,男色は空海が広めたものではないと否定する.
「周の穆王は慈童を愛し,菊座の名を広くし,漢の高祖は籍儒を愛して,秦の後門を破れり,尚書に頑童を近づく事なかれとあり」
「弘法大師は渡天のみぎり,流砂川に上にて,文殊と契給ひしより,文殊には支利菩薩の浮名をながし,空海師は衆道の祖師と汚名をとどめたり」
空海は,延暦23年(804年)に遣唐使船に乗り,大同元年(806年)までの2年間,唐で仏教の教えを学んだ.
空海が留学していた9世紀前期の中国では,男色が盛んであり,男娼も存在したといわれる.
空海はともかく,空海に同行した他の修行僧や留学生たちが,男色を唐という当時の日本からすれば先進国の文化を持ち帰り,広めたと考えることは十分可能であろう.
しかし,これだけを根拠とすることは難しい.
なぜなら,しばしば江戸時代において仏教は,国学者や儒学者たちから社会規範を乱すもの,社会に役に立たない穀潰しの宗教として非難されていたからである.
すなわち,国学者や儒学者が仏教を批判する場合,僧たちが行う男色を批判理由の一つとし,そして空海の名を挙げ,男色と結び付けていた.
そして,その批判が宗教家のなかだけではなく,庶民にも浸透するようになり,多くの男色文学で空海の名が取り上げられたからである.
仏 教 者 た ち の 男 色
「出家にも俗人に変はらぬ天性の水あり.此水はながす事もなくせきとめておきたるばかりにては洪水となってほとけのいましめをやぶり,女をおかす心いでくるものなり.これ大水なる時は河水堤をやぶるがごとし」
仏教では菩薩の位を持つ僧であっても,もとは武士や農民と同じ人間であり,男である.
人間である以上,性欲があるのは当たり前であり,我慢をしすぎるとかえって女犯を犯す危険が高まる.
では,どう処理すればいいのか.
「ぼんのふの悪水をながす衆道といへる大河をこしらへ,末世の沙門にこれを示す」
残った方法は一つしかない.僧は,女性ではない者,すなわち男性との交接を選びとったのである.
僧の近くにいる男といえば,同僚僧か僧の身辺の世話をする稚児しかいない.
いくらなんでも,僧同士で交接を持つわけにはいかない.
いや,持っても良いのかもしれないが,浄土往生を願い,人々を救済しようと寝食をともにする僧たちで交接があれば,いつ襲われるかわからず,おちおち修行などしていられないだろう.
それに,どんな男でも良いというわけでもない.
やはり,交接を持つからには,美しい者と交わりたいと考えるのは人間の性である.
僧は,薪取りや博打打と並ぶ醜貌の職業であった.
仏 教 者 の 身 体
今日に生きる我々は,人を見た目で判断してはいけないと思う.
しかし,それは儒教的な考え方であり,仏教的な考え方ではない.
「上品の善功徳を修すれば,一丈七尺の長身を得む.下品の善功徳を修すれば,一丈の身を得む」
仏教には,すべての事象には原因と結果があり,人間の行う善行にはよい結果としての報い,悪行には悪い結果としての報いが生じるという因果応報の思想がある.そして,美醜は前世での善行や悪行の因果であり,容貌が美しいということは前世での行いが善いことの現れと考えられるようになり,美は,尊ぶべきものと考えられるようになっていく.
醜貌でこの世に生を受けた者ならば,少しでも美貌になりたいと思うのは当然であろう.
そして,現世での美醜が前世での善行や悪行に原因があるのなら,この世で少しでも多くの善行を積み,来世こそは美貌に生まれ変わりたいと願うはずである.
そのためには,貴族や武士や農民でいるよりも,出家し僧となり菩薩の位をえたほうが手っ取り早いに違いない.
そう考えるならば,僧に醜貌が多かったという指摘もうなずける.
いや,多かったというよりもむしろ,醜貌者を僧にさせるという社会的背景があった.
明恵は彼の父が明恵の容貌が美しいことから平重盛に仕えさせようとしたところ,美貌のため僧となれないのであればと,焼いた火箸により顔を焼こうとしたり,縁から落ちたりして,醜貌になろうとしたという.
そんな,醜貌の僧が大勢いるなかで召し使われ,身辺の世話をしてくれる稚児が美しかったら.
その羨望の眼差しは,外見的な美に対するものだけではなく,前世の功徳の結果としての美への憧れとして注がれ,そして自らは持ちえないものに対する欲へと変化していくことであろう.
醜貌である僧は,美貌である稚児と交接を持つことで,稚児の身体の中に乗り移り精神的に一体化し,前世の功徳としての美を得ようとしていたのではないだろうか.
稚 児 と は 何 か
寺院で召し使われる稚児には,皇族や大貴族の子弟が見習いで寺に預けられる者,中流貴族の子弟で預けられる者,庶民階級が美貌など一芸により雇われる者の3つがあった.
そしてこのうち,皇族や大貴族の子弟以外の者が僧の交接の対象となる稚児となっていた.
最初は,
「稚児にとりたて剃髪いたせ,まづ卿名と申候て三位中将あるいは宰相などの名を付け,四度の加行と申候て護摩あいすみ,そののち,授者,瑜伽,秘密と申す三箇の灌頂修行いたせ,次に四十以上にて阿闍梨職灌頂まで年序次第に従ひ相勤め申候と規定」
されていた稚児であったが,いつのまにか,
「そういう堂上家の子弟に対する格別なはからいも世が下るにしたがって何時となく乱れ,ただ人の子息を稚児として飼いならし」
められていくようになる.
出自がどうであれ,やはり自分の身辺の世話をさせ常にそばにおくのであれば,美しい稚児を置いておきたい.
『きのうはけふの物語』には,春秋の彼岸のときに大金を渡す約束で若衆を口説いた高野聖の話などがあり,どんなことをしてでも美しい稚児をそばに置きたいという思いが強くあったのだろう.
また,僧は美少年がいると聞けば自分の稚児とするために,人買いから買い取ったということも少なくなかった.
男 色 の 対 象 と し て の 稚 児
稚児である少年と交接を持つことは,仏教ではどのように考えられているのか.
『往生要集』には,
「悪見処と名づく.他の児子を取り,強ひて邪行を逼り,号び哭かしめたる者,ここに落ちて苦を受く」
とする地獄が描かれる.また,
「多苦悩と名づく.謂く,男の,男において邪行を行ぜし者,ここに落ちて苦を受く」
とする地獄が描かれる.
このように,本来は地獄に落ちる行為であるものの,僧は稚児を交接の対象として扱ってきた.
僧にとっては稚児との交接は,地獄に落ちてもいいほどの抑えきれない愛欲であったのか.
また,経典に角筆で「児尻舐,児尻セう,尻」と落書きし,修業中にまで稚児の尻を舐めたいと思ってしまうほどに,稚児が僧を欲情させるのか.
「我等一切の衆生の胸底に八葉の蓮華あり.この蓮華,善念起こる時は開き悪念起こる時はしぼむなり.この蓮華の中に心王大日尊すみ給う.心数は八万四千塵労門なり.是を曼荼羅ともいうなり.煩悩の炎起こればしぼみ炎消ずれば開くなり.租犯にでもあれ犯して後十二刻の程は仏神に詣るべからず.その故は煩悩の火に焼死する所の八万四千の虫の香くさし.是をば仏きらい給ふなり.天魔は是を悦びで障礙を成すなり.されば仏法僧は堪忍すべきものなり.是は浅略一分の道理なり.忍び難きときはただ沙弥と小児に付いて煩悩の火を消すべし.されば稚児は菩提山王の垂迹なり」
「我ら一切衆生観音の大慈に預りて無明煩悩を断る間過なきものなり.故に自然戒門と云ふなり.但し我ら欲しいまゝに犯すべきにあらず.もし顛倒妄想に引かれて煩悩の炎起せば犯すべし.たとえもし犯すともかくの如くこの灌頂の児を犯すべし.もし無灌頂の児を犯さば三悪道の種因となるべし.これを犯す時観音ただ想に応じ児は等覚深位の薩唾我は円の初住の菩薩と思ふべき故に初住の無明煩悩を等覚智にて断ずる意なり」
僧と稚児との間には「児灌頂」という思想があった.
すなわち,僧はたんに女性の代替として稚児と交接を持っていたわけではない.
僧と交接を持つ稚児とは,たんなる美少年ではなく菩提山王という菩薩であったのだ.
そのような菩薩である稚児との交接,稚児と肌を触れ合うということは,菩薩と交わることを意味している.
中世,『秋夜長物語』『あしびき』『上野君消息』など稚児物語と呼ばれるジャンルの物語が登場するが,物語の主題は僧が稚児との交接を通じて仏道を悟るというものである.
そして,その場合の稚児は,やはり文殊菩薩や観音菩薩の化身として描かれている.
僧が稚児と交接を持つということは,男としての愛欲を解消するという意味ではなく,菩薩の救済を得る行為なのである.
児灌頂という思想により,醜い自己を離れ美を精神的に獲得しようと,また菩薩と一体化するような感覚を得るために,僧は稚児との交接が必要だったのだ.
男 色 の 対 象 と し て の 稚 児 の 意 識
児灌頂の思想のもと,菩薩の化身となり交接によって人々,特に僧を救うことを求められた稚児であるが,では菩薩となった稚児自身は,そのことをどのように感じていたのか.
「寺院に7,8歳で引き取られ,実家からは一文半銭の出費もさせることなく育てられた.寺小姓から成人すると片付と称し,出家得度して僧になる者は,和尚様が師となり仏門に入らせて生活が保証された.僧に入門しない者は御家人・同心の株を買ってやり,将来の生計を確約する.上野寛永寺宮様の御控所へ京都から供してきた寺小姓に,お暇があるときは賜り金は50両100両の大金が授与された」
我慢さえすれば大金のお小遣いがもらえ,さらに僧にも御家人にも同心にもなれ,将来が約束されるのである.
そして,親にすれば一切の費用がかからず.子が育ててもらえる.
しかし,その内実は僧の男色の相手として子が買い取られたに過ぎない.
だが,必ずしもすべての稚児が将来を安泰に送ったわけではない.
寺院に籍を置かない正式でない僧になる場合や,僧になれず生涯を童形のまま過ごす場合も少なくなかったようである.
「行儀見習いと学習で,幸菊という独り子を寺にあげた.両親が進物品を持って法師の下に参上した.幸菊を寺の者が小穴と呼び,なんと奇妙の言葉かと両親が幸菊に聞く.この寺で下戸の別名を小穴というと答え,さもあらんと合点して寺を去った.再度夫婦で寺に参上したとき,寺の接待でしきりに酒を勧めると,幸菊の母が物知り顔で,私は全く下戸にて子幸菊は広穴ですから,酒は幸菊にすすめくださいと申した」
親は,学習や躾のための見習いと思い,また貧しさゆえに僧に救いを求めて子を寺に預けていた.
まさか,自分の子が僧の交接の相手をさせられているとは思いもよらなかったはず.
そして,稚児となった少年も,自分が僧の交接の相手であるとは親に話し難かったことであろう.
僧と稚児とその親をめぐる小咄は,稚児が親に自らが交接の相手であることを隠そうとする必死さと,それにともなう言い訳が引き起こす親の的外れな言動が面白さを引き出している.
しかし,これらは小咄である以上,僧の間だけではなく一般庶民にまでも稚児の実態が知られていたことを意味する.
とするならば,寺に預けた我が子が僧たちの性の相手となっていたことを,親たちは知っていたことになる.
お わ り に
僧にとって,稚児との交接はたんに女性と交接が持てないために,性欲の処理という意味だけで行われていたわけではない.
稚児との交接は,現世に醜貌として生まれたがゆえに僧になった者の美貌である稚児への憧れと,稚児が菩薩であるとする児灌頂の思想のもと,救済と功徳を得るための仏教的な行為として,行われていたのである.
しかし稚児は,もともと学問や行儀見習いのため寺に預けられた少年であり,仏弟子として僧の身辺の世話を行う少年である.そんな稚児たちの一部は,美貌というだけで僧に強奪され,また人買いを介して購入された者である.
稚児の発生の当初においては,菩薩の化身であるがゆえに寺院に稚児を置いていたわけではない.
また,稚児たちの男色の対象となることの打算と悲痛さは,多くの書物にみることができるものの,菩薩として喜んで交接の相手となるような文献を見つけることができない.
そのため,この稚児が菩薩の化身であり,稚児との交接は救済や功徳であるとする思想は,仏教的な思想や教義に十分に裏付けられたものではなく,女性との交接は公に罰せられるために,刑罰の対象とならない美貌の稚児と交接を持ちたいものの,それもまた破戒であり来世で地獄に落ちる可能性があるため,それを回避しようとする僧の方便の結果として生まれたと考えることができよう.
稚児が菩薩の化身であり,それゆえ稚児との交接は破戒ではなく,むしろ功徳であり救いである.
この児灌頂の思想は,女性と交接を結ぶときは如意輪観音がその女性になっているため,破戒ではなく救済であるとする親鸞の夢告とよく似ている.
児灌頂も夢告も,これらの思想は性欲を解消し交接を持ちたいという僧の切実なる願いが,仏教に付会して僧の性欲を合理化するにいたった結果,生まれたものにすぎない.
【原著】
平松隆円 2007 日本仏教における僧と稚児の男色,日本研究,国際日本文化研究センター(編),角川学芸出版,第34号,pp.89-130